【講演会】
講 師:西山 克彦様
・東京急行電鉄株式会社(現東急株式会社)元専務取締役
・株式会社東急ファシリティサービス 元取締役社長
演 題:多摩田園都市の開発について
「講演概要」
・多摩田園都市の開発には、神奈川県不動産のれん会の会員企業であるあざみ野不動産㈱と嶮山開発㈱にご協力いただき、またお世話になった。
・昭和35年に東京急行(以下東急)に入社したが(池田勇人内閣が所得倍増計画を発表した時期)、昭和34年8月24日に五島昇社長が全社員に挨拶で述べた6つの開発・建設計画の中に、「城西南地域の開発と大井町線延長線の建設」があり、40万人が住む多摩川西南地区の都市経営をするとのことで、その規模の大きさに驚いた。
・昭和28年に東急が城西南地区開発趣意書を発表した。昔からの財産を減らしてでも区画整理に踏み切った地主の方々が最大の功労者であると思う。
・東急:街づくり業から出発している。1918年(大正7年)に渋沢栄一が中心となり田園都市株式会社を設立した。洗足、大岡山、田園調布等を大正12年8月に分譲を開始したが、同年9月には関東大震災が発生した。ただ被害はなく幸運であった。
・渋沢栄一の田園都市構想は、E.ハワードの「田園都市論」の影響を受けている。ロンドンの衛星都市といわれるレッチワースを提唱した。その後子息であり社長であった渋沢秀雄はサンフランシスコ郊外の住宅地を見習った。
・運輸省の官僚であった五島慶太が1942年に東京急行電鉄を発足した。
・多摩田園都市(主に東急で使われている呼び名):溝の口から中央林間までの沿線都市約5000haをいう。3500haは区画整理事業により開発した。田園都市線18駅の駅間は約1kmである。土地区画整理法による事業により道路・公園・学校等を造り、東急がスーパー・銀行等を整備した。
・多摩田園都市構想の沿革:1953年に「多摩川西南地区都市計画」が策定され、田園都市線の開通した1965年に「ペアシティ計画」が発表され、プラザ・ビレジ・クロスポイントの3種類の拠点開発がなされた。1973年に街づくりを宅地開発から都市開発に移行するため「アメニティプラン多摩田園都市」が発表され、環境問題も配慮して施設の整備等がなされた。1988年に21世紀に向けた豊かな街づくりの指針として「多摩田園都市21プラン」が策定された。
・土地区画整理は、59の区画整理組合(地権者約11000人)から構成された。1992年に2万人の沿線人口が2023年12月末で約63.3万人に増加した。
・土地区画整理手法は、地主さんと共同で、街づくりと鉄道を調和させながら開発する。土地を整備し、地主さんに換地し、公共・公益用地(道路、公園、学校用地)と売却して工事費に充てる保留地とする。地主さんは50%程度減歩(ゲンブ)となる。
・土地区画整理事業は、その実施には土地所有者にとって莫大な事業費の先行投資(借金)が必要になる等の課題があった。そのため東急が業務一括代行方式(東急方式)により、事業資金の提供や組合事業の代行を行なった。当初この方式はかなり非難があったが、昭和61年頃から民間活力を利用すべきとの機運が高まり、その後建設省からも促進すべきとの通達が出て、この方式が全国的にも広まった。
以上
横浜ナビオス 2階カナール(横浜市中区新港2-1-1)にて、役員会・講演会・懇親会を開催しました。講演会後の懇親会では斉藤昌喜会長よりご挨拶、加藤健平副会長の乾杯の音頭でスタートし、その後、多くの会員の方々からのご挨拶やトークが続きました。最後は山田智也副会長の音頭による締めで本例会は終了しました。
































